dancemode’s blog

身体と向き合う毎日を発信します✨

みとりし

昭和初期は8割の人が自宅で亡くなっていたようですが、今は8割の人が病院で亡くなっています。

私は母を自宅で看取りました。本人の意志を尊重することが当たり前だと思っていたからです。家で死にたいと言っていたので、最後は自宅に連れて帰ること、私が看取ることには抵抗がありませんでした。

 

看取り士という存在があるということを初めて知りました。死を迎える方とその家族に寄り添うのだそうです。養成講座の初級に参加しました。死を迎える人とその家族にとって、その存在は大きなものでしょうし、これから活躍されることでしょう。

 

母を看取った経験から言わせて頂くと、やはり亡くなる本人が信頼している人が看取ることが理想ではないでしょうか?私は恵まれていて、看護師という仕事柄、死に遭遇することもあります。お陰でどのように身体が機能を停止していくか、段階によって行うべきことが解ります。苦痛を最小限にし、本人が望むことを行う。そばにいて、手を握り感謝の気持ちを伝える。大好きな人に囲まれること、お別れしてもらうこと。悔いなく見送ることが出来ました。こういう恵まれた死を迎えられた母は運がいいのか、なるべくしてなったのか。理想的でした。

 

自然と母が何をして欲しいのか解りましたし、後悔もなく、満足したくらいです。元気な時からの関係や意思確認が役に立ちます。本人のことをどれだけ解っているかでやることも解ると思います。病院から自宅に着いた時の表情の変化、手を胸に当てたときの安堵の表情と呼吸状態、意識レベルからして、反応なんて出来ないという状態なのに、私のお喋りで笑ったり、意思表示が出来ていた母。聴力が最後まで残るというのは本当だったこと。色々な発見がありました。

 

どのような心の準備が必要か、どんな福祉用具が必要か、どんな経過を辿るのかなど、死に遭遇することがない方は不安だと思いますが、解っていれば準備が出来るのです。恐れる必要はないのです。とは言っても経験したことがないことは誰でも怖いものです。

 

死は誰にでも訪れます。ネガティブでなく達成感、満足感、充実感で人生が終えられるように、毎日一瞬一瞬を大切に生きることが大切だと思います。自分の心を満たしておくこと。それから家族を大切にすることが今私達が出来ることです。

 

生き方が死に方を決める。そう思わずにはいれません。

 

看取り士は必要でしょうか?

仕事を快く休むことができるか、どのタイミングで職場に報告するか、自分一人に負担がかからないか、相談できるところはあるか、社会資源に対する知識はどうか、訪問診療、訪問看護の利用など、家族を看取ることが出来る環境作り、意識改革が先だと思います。

 

私は看護師として看取りに対する経験を発信していこうと思いました。