dancemode’s blog

身体と向き合う毎日を発信します✨

最も美しいもの

母を自宅で看取ったあと、悲しみや寂しさといった感情があるのは事実ですが、沢山の人の優しさに恵まれ、思い出づくりをする時間もあり、自宅で亡くなるという本人の希望が叶えられ、私は、満足と達成、解放といった感情の方が強いです。

 

4年4ヶ月前、咳が止まらないという症状でクリニックを受診した母は、その日のうちに大きな病院に緊急入院しました。右肺に悪性胸水が溜まっていて、肺腺がんの末期でした。何もしなければ2~3ヶ月の余命と言われていました。希望を失ってしまうことを避けるため末期であることは伏せておき、肺がんが治ると信じて抗がん剤の治療をやろうと説明されました。

 

信じる力は奇跡を起こすのです。4年4ヶ月生きれたから家族は出来ることをやれましたし、受け入れる時間も持てました。母は父や弟を残して亡くなるなんて嫌だっただろうし、まだ生きたかったでしょうけど。辛い治療だったのに良く頑張っていました。ガイドラインの治療を全て行いました。脳に転移してガンマーナイフ(放射線治療)をしなければならなかったときは、怯えた表情をしていましたが、私達家族に心配をかけないように必死で笑顔で振る舞っていました。

 

現在の抗がん剤治療は進化しています。私が看護師になりたての頃は、白血球が少なくなるとクリーンルームで隔離でしたし、隔離されることで精神が不安定になることが予測されるからと精神薬を使用し、食事も加熱したものだけ。それもアルミホイルに包んだようななんとも味気のない食器に盛りつけられて・・。見るだけで辛かったものです。

母は、隔離されることもなかったし、自宅で過ごす時間も長かったし、脳に転移していても認知機能や情緒への影響はほとんどありませんでした。本人は辛くてもそれを面に出さなかっただけでしょうが・・。

 

指先の皮が剥げても手袋を付けてお茶碗を洗ったり、吐き気があっても味覚がなくなっても家族へ食事を作り続けました。辛い治療を何故ここまで頑張れるか解りませんでした。キツいのに料理なんてしなくて良いのにと思っていました。私なら痛みだけ取ってもらって、全て放り投げて、有り金全部握りしめて、海外で遊び回ってしまいそうです。

 

母が亡くなったあと、自宅の片づけをしていたら、入院中に気づいたことなどを書いたノートが出てきました。そこには、「私が家族に出来る最高のプレゼントは時間です」と書いていました。自分が出来ること。毎日家族に食事を準備すること。笑顔でいること。治療を頑張ること。治ると信じること。家族と一緒に過ごすこと・・・・・。そう思っていたのでしょう。

 

母の治療に向き合う気持ちが理解出来ました。

私もいつか母のように大きな愛情で周りの人を包み込み、出会う人全てを笑顔に出来るだろうか。

 

まだまだ母には追いつけないけれど、母の深い愛情、信じる心、優しさを大切に生きていきたいと思いました。

 

自宅で看取ることで少しは親孝行出来たかな。

 

母の大切にしていた福沢諭吉の心訓に

「世の中で一番美しいものは、

全てのものに愛情を持つことです。」

とあります。

 

美しい自分を目指して、今出来ることに正面から向き合って、一歩一歩成長していきます。

母の生き方を受け継いでいけたらいいな。