母は4年半ほど肺がん治療を頑張っていました。診断時は、末期で何もしなければ2~3か月の余命と医師に伝えられました。前向きな母で、病気に立ち向かい続ける強さは周囲を驚かせました。父の深い愛情と献身的な関わり、医療スタッフのきめ細やかな対応は素晴らしいものでした。母の人柄が周りをそうさせると皆が口を揃えて言います。胸が熱くなるほど感謝しています。
最後にお見舞いに言ったとき、意識レベルの低下を感じました。
母が最後は自宅でという思いを私に言っていたのです。このまま病院で亡くなるか、自宅に帰るか。私の選択に迷いはありませんでした。母の意思を尊重することが私の務めだと思ったからです。
主治医は自宅に帰るのは難しいと判断されていましたが、訪問診療の医師、がん認定看護師などの医療チームが自宅へ帰る方法を考えてくれて退院が実現。担架を使い5人で急な階段を使って、自宅へ帰ると決めた翌日に帰る事が出来たのです。酸素吸入、バルーン留置、点滴や痛み止めの管理が必要でしたが、母も私が看取ることに不安はないと言ってくれました。
食事が一週間食べれなくなっても抗がん剤の治療に期待していた母。そんな母の病院での最後の一言は、「家に帰る」と絞り出した言葉でした。それを聞いた私は、「帰ろう。私がお母さんをちゃんと看るからと」言っていました。母が診断されたときからこうなる気がしていて有給をためていたのと、上司に母の状況を逐一報告していたので、すんなり仕事を休むことが出来たのです。上司は、母のそばにいてあげてと言ってくれました。スタッフは私の夜勤と仕事をカバーしてくれて頑張ってくれていたと思います。周りの全てが母を自宅に返したいという思いだったと思います。
とにかく苦痛がないように、安らかに旅立てるようにとそのことばかり考えていました。訪問診療の医師、訪問看護の看護師には私のメンタルフォローまでしてくれて、私も看護師として学ぶ事が多かったです。
ゆっくりゆっくり旅立ちに向かう経過を見守る。涙が止まりませんでした。バスタオルいっぱい吸収するくらい涙が出たのではないかと思います。悲しいと感じる前に勝手に涙が出るのです。母がどのように私を育てたか、どんな事が好きだったか、どんな言葉をかけていたか、色んなことを思い出しては泣く私。それを見た母は何故そんなに泣くのかとビックリしたような呆れたような表情をしていた気がします。
最後は家族皆に囲まれ、声をかけられ、大好きな音楽を聴きながら穏やかな顔をして旅立ちました。悲しいし寂しいし、色んな気持ちがあるけれど、満足でした。母も病院にいるときと比べると安心した顔になり、よく眠れていました。
帰宅に戻って3日で旅立ったのですが、とても不思議な事がひとつ・・。母の睫毛が伸びたのです!!抗がん剤の治療で眉毛や睫毛が亡くなったとショックを受けていたのですが・・・。くるりとカールしていたのです。
母は美意識が高かったと周りが言っています。頑張ったご褒美に睫毛を神様がくれたのかな。不思議です。
自宅での看取りはその人らしく旅立てる家族からの最高のプレゼント、最高の親孝行じゃないかなと思います。
お母さん、産んでくれてありがとう。
お母さん、育ててくれてありがとう。
私達のために頑張ってくれてありがとう。
お母さんのように強く優しく愛に満ちた女性になりたいです。